このブログについて
このブログはウェブサイトアンコール遺跡群フォトギャラリーと連動して、アンコール遺跡を中心とするカンボジアで撮影した写真を掲載するとともに、カンボジアに関するトピックを扱っていきます。
写真はウェブサイトでは掲載しなかったものを中心にし、できるかぎり説明文を付け加えます。フリースタイルでカンボジアのイメージを探していきたいと思います。それではどうぞよろしく。

波田野直樹(アンコール遺跡群フォトギャラリー管理者)
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# by cambodiablog | 2011-12-31 23:59
石を繋ぐ
遺跡を歩いているとき、石材をよくみると、この写真のような窪みを刻んだものが発見できることがある。
この窪みは石と石とが離れにくくするために鉄製の部材を差し込んだ跡らしい。
砂岩を多用して作られた遺跡では基本的にを接着剤などを使わない空積みという工法で築かれたといわれているが、部分的にはこのような鉄製の部材で石材がずれてしまうのを防いだわけだ。
もっともこうした鉄製の部材の使用がどの時代にどのような遺跡で行われたのかは寡聞にしてよくしらない。

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# by cambodiablog | 2008-11-20 20:41
砂糖椰子
水田と砂糖椰子。カンボジアの原風景のひとつだ。コンポンチャム州にて。
遠くに小さく仏教寺院が見えているのがわかるだろうか。
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# by cambodiablog | 2008-11-09 07:54
干上がったバライ
西バライはおそらくアンコール期最大の貯水池だが、今は東側は干上がっており、西半分だけに水がある。
ところが年によっては雨が少なくて水位が下がってしまい、西半分も干上がってしまうことがある。2005年の夏はそんな年だった。
水のなくなったバライの内部は広大な草原になっている。地面の起伏はほとんどない。草は丈が低く、まばらに生えているだけだ。
遠くに見えている小さな丘はプノム・バケン。
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# by cambodiablog | 2008-11-08 19:49
遺跡修復
アンコール遺跡の修復が続けられている。
植民地時代以前にさかのぼる遺跡修復の痕跡があるものの、本格的な修復がはじまったのは植民地時代にフランスによってだった。パリ和平後は多くの国が遺跡修復に参加するようになり、現在にいたっている。
ロリュオス遺跡群のひとつ、プレア・コーではドイツが修復を担当している。プレア・コーはレンガ造の遺跡で、壁面に見られる装飾は漆喰で形作られている。写真は修復中のレンガ部材(1999年)。
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# by cambodiablog | 2007-11-25 08:30
回廊の屋根から
この写真と同じアングルの写真は二度と撮れないに違いない。
撮ったのは1999年秋、場所はタ・プロームの回廊の屋根の上だ。
当時、観光客は今ほどは多くなかったし、遺跡を監視するAPSARAのスタッフの姿もなかった。だから、それはやってはいけないことだったのかもしれないが、私のように遺跡に登るようなひともいた。なちなみに1990年代末の年間旅行者数はおよそ20万人、2006年は170万人だという。こういう状況下で、遺跡の回廊の屋根をわたり歩く体験はもはやできない。そればかりでなく遺跡という存在そのものがどんどん遠くなっていく。
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# by cambodiablog | 2007-11-11 09:54
遺跡の「眼」
遺跡は日々朽ちてゆく。
たとえば回廊の屋根を構成する石材のいくつかが落ちると屋根にはぽっかりと穴が空く。
その下を歩いていると、暗い回廊の中でそこだけがすこし明るくなっていたりする。上を見上げると、穴から真っ青な空が見え、木々の緑が見える。そのとき私はなぜか、これは遺跡の眼なのだと思う。空をみつめる遺跡の瞳。その内部の暗さと空のまぶしさの強いコントラストは、アンコールの記憶を構成する根源的な要素だ。

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# by cambodiablog | 2007-11-09 22:12
闇の向こうの輝き
アンコール・ワット西塔門は門というよりもひとつの立派な建物だ。その中央の入り口を入ると内部は暗い通路で、正面からまるでトンネルの出口のように光がさしている。
これもまたクメール遺跡の典型的な光景のひとつだ。
光から闇へ、闇から光へ。
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# by cambodiablog | 2007-11-08 22:16
碑刻文
カンボジアの歴史研究において碑刻文は重要な史料だ。これは言い方をかえると、碑刻文以外に有力な文字史料が見当たらないということでもある。
碑刻文はサンスクリットや古クメール語で記述され、たとえば遺跡の入り口を枠のように縁取っている砂岩の部材の表面に刻まれている。、写真はロリュオスにある遺跡、ロレイの祠堂の入口枠に刻まれた碑刻文(部分)。
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# by cambodiablog | 2007-11-04 08:20
緑の森の向こう
土の道の向こう、緑の木々の先のほうに遺跡の尖塔が見えている。
カンボジアの遺跡に近づいていくときに目にする典型的な光景だ。
この写真が撮られたのは1999年11月、雨期の終わりの時期で風景はみずみずしく濡れている。その後、この静寂が永続的なものではないことを、私は数年を経ずして思い知ることになるのだが。
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# by cambodiablog | 2007-11-02 22:53
1999年のプサー・ルー(シェムリアップ)
シェムリアップの中心部から国道6号を東にすこし行くとプサー・ルーと呼ばれている立派なマーケットがある。中心部のシェムリアップ川近くにあるプサー・チャは規模がやや小さく、いまや観光客向けになっているが、こちらのプサー・ルーは地元のひとたちのための"ショッピングセンター"である。
写真は1999年当時のプサー・ルー。午後おそい時間帯であり、客の姿は見えない。今とはまったく違う、ポル・ポト後のインフラの欠乏を象徴するような光景だ。
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# by cambodiablog | 2007-10-31 08:11
新郎新婦
アンコール・ワットでは結婚したばかりのカンボジア人男女をよく見かける。
現代のカンボジア人にとってアンコール・ワットはいわば結婚の聖地であるわけだ。
ただし写真のように着飾ってアンコール・ワットを訪れることができるひとたちはかなり恵まれている層にちがいない。
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# by cambodiablog | 2007-10-29 21:57
プラサート・リン(コー・ケー)
短命だったつかの間の王都コー・ケーの遺跡には大きな砂岩の部材を用いたものが少なくない。繊細さはないが荒々しい力強さが感じられる。
プラサート・リンはいわばリンガの覆い屋のようなものらしい。コー・ケーにはいくつもあり、いずれも平面がほぼ正方形で、内部に巨大なリンガが安置されているのが共通点だ。
コー・ケーの遺跡の「巨石信仰」にはなにかその文化的背景があるのだろうか。

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# by cambodiablog | 2007-10-28 17:53
樹木に縛られる
樹木が遺跡を縛り上げている。
カンボジアの遺跡ではよく見る光景だ。ただしアンコール地域では遺跡の整備が進んでいるのでタ・プロームなどごく一部の遺跡でしか見ることはできない。
この写真はアンコールではなく、コー・ケーに点在する遺跡のひとつ、プラサート・プラムの塔堂のひとつで、レンガ造だ。コー・ケーの遺跡は100ほどもあるといわれているが、観光客が訪れるのはまだ一部にすぎない。
ちなみに、20世紀初頭のアンコールでは樹木が優勢で、遺跡の多くは樹木でおおわれていた。現在のアンコールの景観はフランスが木を切り払い、ちらばった石材を片付けるといった地道な作業を続けた結果できあがったものだ。
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# by cambodiablog | 2007-10-26 20:44
高床の家
典型的なカンボジアの農家。高床式で、床下は物置とか作業場などさまざまに活用している。高床式の家に住む生活様式はカンボジアのひとびとがおそらくこの二千年あるいはそれ以上守ってきたものだ。私はこの家の床下にハンモックを吊って一夜を過ごした。

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# by cambodiablog | 2007-10-21 07:13
乾期の水田で
シェムリアップの北東に、聖なる丘であるプノム・クーレンがある。その東側のふもとに点在する遺跡を訪ねた。乾期であったから水田は乾ききっている。その中を私のモトドップと案内してくれた近くの村の少年が歩いてゆく。私はそのあとからのんびりとついてゆく。

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# by cambodiablog | 2007-10-21 07:00
looting(遺跡からの略奪) 2
カンボジアの遺跡の中で建設当時の完全な姿で残っているものはないといっていいだろう。長い時間の経過の中で劣化するだけでなく、人為的な破壊の痕跡を残している遺跡が少なくない。人為的な破壊のひとつがlooting(略奪)である。たとえばリンテル(化粧まぐさ。入り口の上部に渡した横長の石材に精細なレリーフ彫刻を施してある)や壁面のデヴァターなどのレリーフは被害にあいやすい部分だ。石材は大きく重いので、レリーフの一部をはがして持ち去る。それはおそらく国外に持ち出されて骨董品として高値で取引されることになるのだろう。
lootingを実行するのは近くの村人であったり略奪組織であったりするが、いずれもこそこそと行われるのではなく、日中堂々と行われるようだ。
最近では警察官が常駐する遺跡も増え、被害は減っているはずだが、一度傷つけられた遺跡は元には戻らない。

※レリーフが傷つけられた理由は略奪だけではない。かつての仏教とヒンズー教の抗争の中で削り取られたものもある。

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# by cambodiablog | 2007-10-21 06:46
looting(遺跡からの略奪)
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# by cambodiablog | 2007-10-17 07:14
遺跡とテラヴァダ仏教
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アンコール期あるいはプレ・アンコール期に建てられたレンガ造の塔堂の内部にはテラヴァダ仏教の世界が広がっていた。
レンガの壁に塗られたのはおそらく漆喰だろう。
古い遺跡があった場所にのちになってテラヴァダ仏教の寺院が建てられるのはよくあることだが、この塔堂がある場所にも立派な仏教寺院がたっている。
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# by cambodiablog | 2007-10-14 17:51
遺跡にとりつく
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遺跡に大きな樹木がからみついている光景はタ・プロームが有名だが、それ以外でも遺跡にとりついた樹木をよく見かける。この写真では、樹木がレンガ造の建築物にのしかかってしめつけるような状態になり、そのためか別の理由か、レンガが崩落している。時間がさらに経てば遺跡は消滅し、樹木だけが残ることになるかもしれない。
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# by cambodiablog | 2007-10-14 06:55